疑うこと
先月、中村学園大学のポスターセッションに参加し、ブログにも書きましたが、学生さん達の真摯に学ぶ姿を見て、とても嬉しく思いました。その学生さんたちから、ポスターセッションで質問したことに対して、先週手紙が届きました。本当に真面目で誠実です。
一つの質問は、『未満児の時に、保育者に丁寧に排泄に関わってもらうことで、4歳児になった時に、自分から「トイレに行ってもいいですか?」と言えるようになった』という発表に対してです。フンフンなるほど・・・と聞いておけばいいと思うものの、納得がいかず、「生理現象である排尿をする時に、保育者に許可を求めなくでもいいのでは?」と質問しました。
今回の回答には、『その園は、安全確保のために「トイレに行ってもいいですか?」と訊くことがルールになっているので、子どもがそう訊いていたようです。』と書かれていました。
りんごの花保育園の子ども達は、みんな「トイレに行って来ます。」としか言わないので、違和感を感じました。自由遊びの時間さえ、トイレに行くとき許可を求めなくてはいけないのかと思うと、気になります(気にしすぎなのでしょうね)。
これだけ社会の変化が激しい時代を生きていかなくてはいけないのですから、子どもの主体性を育てるのは必要不可欠なのではないでしょうか?トイレに行くのでさえ許可をもらわないといけない毎日を子ども達が過ごしているとしたら、主体性の育ちはどうなのか、考えさせられます。
学生さんは、実習で学んだことをあまり疑うことなく、受け入れていくのでしょうね。様々な価値観の中、自分で考えて判断する力を求められているのは、大人も子どもも同じです。
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