インクルーシブ教育
先日の研修会を受け、インクルーシブ教育についていろいろ考えさせられています。先日もブログに書いた通り、みんなで一斉に同じゴールを目指そうとしたら、こぼれ落ちてしまう子ども達が出てしまうのは当然です。それでも一緒にと思うなら、人やモノ、場所などの環境整備が必要になります。
インクルーシブ教育を目指すイタリアは、手厚い人員配置で、誰も排除しないインクルーシブ教育を行って40年が経とうとしています。手厚い人員配置や環境整備が必要になるので、順調ではないイタリアの経済状況でどこまでできるのか、世界的に注目されているそうです。
イタリアでインクルーシブ教育の意義についてアンケートを取ったところ、障がいがある子に意義があるという回答は87.7%、障がいがない子にとって意義があると答えたのは100%だったそうです。障がいがある子にとっては「刺激を受けることができる」という回答が多く、障がいがない子にとっては「違いを受け入れることを知る」「敬意を払うことを学ぶ」「人を助けることを学ぶ」という回答が多かったそうです。日常を一緒に過ごすことで人として必要な経験ができるということでしょうね。
保育園で、みんなで同じ活動に取り組みたいと思っても、理解力、認知力、月齢などに差があり、難しい時が多々あります。「それはしたくない」「◯◯だから嫌だ」と言葉にできず、部屋を飛び出したり、大声をあげたり、暴言を吐いてしまう子ども達の対応に追われてしまうことも屡々です。みんなで共に活動し、共に学ぶための方法をいろいろ考えていますが、難しいです。
誰も取り残さない教育は理想ですが、それを実現するための構えも方法も試行錯誤の状況にあります。何が正解かわからないままインクルーシブ教育を目指すのは苦しいですが、私達のこの拙い日々の取り組みがいつかインクルーシブ教育に繋がることを信じて歩み続けたいと思います。
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